川淵 勉の「セビロの広場」(2)
消えた縫い目=緩やかなセビロ


世界中の男たちが当たり前のように着ている「セビロ」は
いったいいつの頃からこのようなスタイルが一般化したので
しょうかそしてこの奇妙な呼び名はどのようにして
わが国に根づいてきたのでしょうか
歴史と言うにはやや大げさですが少し考えてみましょう

◆セビロが現れる以前の紳士の服装は、映画や絵画、貴人の肖像画などで見るように、いまでは考えられないほど体に密着したものでした。その名残は現在でもモーニングコートやイブニングコートに見ることができます。
◆結婚式やお葬式に着るモーニングコートや、オーケストラの指揮者の着るイブニングコート(燕尾服)をみると、背中の上部の両脇に丸い縫い目がありますね。またウエスト位置のところに、背中から前端まで横方向の縫い目があります。この二つの縫い目は、服を体に密着させるためにつけられたもので、1800年代の遺物がいまなお時代を超えて生き残っているのです。
◆しかしこの二つの縫い目は、礼服には生き残っていますが、普通のセビロには消えてしまっていて、いまでは見られません。
◆1800年代中ごろになって、それまでの体に密着した窮屈な服に代わって、緩やかな着心地のものが登場しはじめました。体に密着させるための二本の縫い目がなくなり、ラウンジスーツと呼ばれました。現代の紳士服はこれが進化したものとされています。時代の移り変わりにつれて緩やかで快適な着物が人びとの間に求められはじめたのです。
◆この変化に影響を与え、ラウンジスーツの登場の素地となるような事件が起こりました。1789年に起こったフランス革命です。この運動は別名をサンキュロット革命とも言います。サンキュロットとはくるぶしまでの長さをもつズボンのことで、キュロット(脚に密着した半ズボン)をはいた貴族社会に対して、長ズボンをはいた労働者階級が起こした運動でありました。
◆この丈の長いサンキュロットは、ひざ下までのキュロットに比べて格段に作りやすく安価にできたうえに、はき心地も緩やかで快適でした。この快適さの体験が、のちのラウンジスーツを生み、それを受けいれる下地となりました。労働者階級の革命運動が紳士服にも一大革命をもたらしたのです。
◆現在の紳士スーツの規範は1920年頃に英国において確立されましたが、これは別の機会にとりあげることにします。

背が広いから「背広」?=セビロの語源

英語でスーツとかジャケットなどと呼ばれるものが
なぜわが国でセビロと呼ばれるようになったのでしょうか
いくつかの説がありますが代表的なものを挙げてみます
あなたはどの説を支持されますか

<シビル・クローズ説> 18世紀後半に起こったフランス革命の先頭に立ったのは、サンキュロット党と呼ばれ、長ズボンをはいた労働者階級の人たちで、いうまでもなく一般市民でした。市民すなわちシビリアンです。
 そして、市民の服=シビル・クローズとなり、これがなまってセビロの呼び名のもとになったとする説です。

<セビルロー説> ロンドンを訪れた観光客がかならず通るリージェントストリートから西に入ったところに、″セビルロー″という小さな街区があります。19世紀中期からテーラーたちが集まりはじめ、いまも注文洋服店が軒を連ねています。この街の名前がセビロの語源だというのです。
 わが国のテーラーは明治以降英国の紳士服を手本としてきました。その英国の歴史的な紳士服の街の名前がその語源だとするのも、あり得ないことではないでしょう。

<背中が広いから説>  はじめにみたようにモーニングコートやイブニングコートの背中の両脇にはサイバラと呼ばれる丸い縫い目がありますが、現在のセビロにはそれがありません。したがって、背中を構成する布地片の幅が広くなっています。
 背中が広いから背広‥‥。直截的な言いまわしで、たぶんに職人言葉の響きがありますが、案外これが正解かもしれません。